2008.05.09 Friday
海と私
海や山が好きだった父にくっついて回っていた私は、幼い頃から海や山には慣れ親しんでいました。
そして大人になってからも、比較的海には近いところに住んでいたため、19歳で車の免許をとってからというもの、何かにつけ海へとドライブ。
海はいつも身近にありました。
そして24歳。それまでにもちょこっとヨット教室に通ったり、人のヨットに乗せてもらったりと、けっこうマリンスポーツには親しんではいたのですが、あるきっかけでウィンドサーフィンを始めることにしました。
何を隠そう、その頃私は初めての大失恋で、失意の底。
好きだった父が他界したのもその年、ウィンドを始める2ヶ月前でした。
失意の底から抜け出すため、ある人への想いと決別するために、飛びつくように始めたウィンドサーフィンで、毎週毎週日曜日には一人で海通い。
もちろん、海へ行けば教えてくれる人がいたり、いつの間にか仲間が増えていったりと一人ではありませんでしたが、一人で通ってくる私を不思議がる人もいました。(確かに変わっていたかも…。)
そういえば、“一人でお酒を飲む”“一人で映画を見に行く”を覚えたのもこの頃だったなあ。
ところで毎週毎週海へ通って、高校以来少しは白くなっていた肌もまた焦げたように真っ黒に。
タンクトップを着て会社に行くと、毒舌の上司に「トラックの運ちゃんか?」などとからかわれるくらいに真っ黒に…。
週に1度、朝から夕方まで海で過ごす。
海に入っていっては上がってしばらくビーチで休む。仲間と語らう。
夕方には目の前の行きつけのレストランの屋外のイスにもたれながら、風に吹かれて夕日が沈みかけるのをボォーっと眺めて、1日に終わりを告げる。
そうやって、海や太陽や風というあたりまえの大自然とたわむれるうちに、体中の毛穴から頭のてっぺんから、体の内側にたまっていたいろんなイヤなものが少しずつ少しずつ出ていくような感覚、あれは今の言葉でいうと、私にとっての“デトックス”だったのかもしれません。
そういう生活の中で、また新たな出会いがあったり、ぐんぐんと勇気も出てきたり…、少しずつ私の中で何かが変わっていきました。
だからそれからというもの、私に“チカラ”をくれたのが海だったという、海への親愛なる思いから、私はますます海が好きになり、今でも海は私にとって大親友のような存在なのかもしれません。
何かにぶちあたった時には自然と海へ足が向き、大海原を見たり潮風に吹かれたりしながら、ちっぽけな自分という存在と向き合ったりしてしまいます。
「がんばれ、自分!」みたいなね。
もちろん、何もない時でも、今は海にさらに近いところに住んでるので、日常的に海とは仲良し。
ただ、もう何年もウィンドサーフィンはやっていませんが…。
またいつかやりたいなとは思いながら、時々見ています。
そして、2006年の夏、「アジアンブルー」というオンラインでのアクセサリーショップが誕生したわけですが、アジアンブルーの商品も、海とは縁があります。
<“海”というシチュエーションに映え、なおかつ遊びでも仕事でも身につければその人をキラリと輝かせてくれるアクセサリー>そんな魅力あるアクセサリーをブランド化したいというのが、アジアンブルーの思いです。
なので、いろんな試行錯誤の末、今はショップの商品画像の撮影もバックは海という、屋外での撮影が定番となりました。
なんて、そんなこんなで今日はいつになく長々と書いてしまいましたが、
今日の、“三行”ではない日記は店長の私のちょっとしたカミングアウト?かもしれません。自分のことを語るのは照れくさくてとっても苦手な私です。
でも、連休中にいつものようにフラリと海へ出かけ眺めていたら、今までの私の海への“想い”を、なぜかなぜか、ふと書いてみたくなりました。
“海と私”のこんな背景も交えながら、またちょこっと、ショップ「アジアンブルー」のことも興味をもってもらえたらなあ、なーんてことも思う、今では海と同じくらいアジアンブルーが大好きな店長なのでした。
ランキングに参加しています。
そして大人になってからも、比較的海には近いところに住んでいたため、19歳で車の免許をとってからというもの、何かにつけ海へとドライブ。
海はいつも身近にありました。
そして24歳。それまでにもちょこっとヨット教室に通ったり、人のヨットに乗せてもらったりと、けっこうマリンスポーツには親しんではいたのですが、あるきっかけでウィンドサーフィンを始めることにしました。
何を隠そう、その頃私は初めての大失恋で、失意の底。
好きだった父が他界したのもその年、ウィンドを始める2ヶ月前でした。
失意の底から抜け出すため、ある人への想いと決別するために、飛びつくように始めたウィンドサーフィンで、毎週毎週日曜日には一人で海通い。
もちろん、海へ行けば教えてくれる人がいたり、いつの間にか仲間が増えていったりと一人ではありませんでしたが、一人で通ってくる私を不思議がる人もいました。(確かに変わっていたかも…。)
そういえば、“一人でお酒を飲む”“一人で映画を見に行く”を覚えたのもこの頃だったなあ。
ところで毎週毎週海へ通って、高校以来少しは白くなっていた肌もまた焦げたように真っ黒に。
タンクトップを着て会社に行くと、毒舌の上司に「トラックの運ちゃんか?」などとからかわれるくらいに真っ黒に…。
週に1度、朝から夕方まで海で過ごす。
海に入っていっては上がってしばらくビーチで休む。仲間と語らう。
夕方には目の前の行きつけのレストランの屋外のイスにもたれながら、風に吹かれて夕日が沈みかけるのをボォーっと眺めて、1日に終わりを告げる。
そうやって、海や太陽や風というあたりまえの大自然とたわむれるうちに、体中の毛穴から頭のてっぺんから、体の内側にたまっていたいろんなイヤなものが少しずつ少しずつ出ていくような感覚、あれは今の言葉でいうと、私にとっての“デトックス”だったのかもしれません。
そういう生活の中で、また新たな出会いがあったり、ぐんぐんと勇気も出てきたり…、少しずつ私の中で何かが変わっていきました。
だからそれからというもの、私に“チカラ”をくれたのが海だったという、海への親愛なる思いから、私はますます海が好きになり、今でも海は私にとって大親友のような存在なのかもしれません。
何かにぶちあたった時には自然と海へ足が向き、大海原を見たり潮風に吹かれたりしながら、ちっぽけな自分という存在と向き合ったりしてしまいます。
「がんばれ、自分!」みたいなね。
もちろん、何もない時でも、今は海にさらに近いところに住んでるので、日常的に海とは仲良し。
ただ、もう何年もウィンドサーフィンはやっていませんが…。
またいつかやりたいなとは思いながら、時々見ています。
そして、2006年の夏、「アジアンブルー」というオンラインでのアクセサリーショップが誕生したわけですが、アジアンブルーの商品も、海とは縁があります。
<“海”というシチュエーションに映え、なおかつ遊びでも仕事でも身につければその人をキラリと輝かせてくれるアクセサリー>そんな魅力あるアクセサリーをブランド化したいというのが、アジアンブルーの思いです。
なので、いろんな試行錯誤の末、今はショップの商品画像の撮影もバックは海という、屋外での撮影が定番となりました。
なんて、そんなこんなで今日はいつになく長々と書いてしまいましたが、
今日の、“三行”ではない日記は店長の私のちょっとしたカミングアウト?かもしれません。自分のことを語るのは照れくさくてとっても苦手な私です。
でも、連休中にいつものようにフラリと海へ出かけ眺めていたら、今までの私の海への“想い”を、なぜかなぜか、ふと書いてみたくなりました。
“海と私”のこんな背景も交えながら、またちょこっと、ショップ「アジアンブルー」のことも興味をもってもらえたらなあ、なーんてことも思う、今では海と同じくらいアジアンブルーが大好きな店長なのでした。
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